鬼滅の刃は、異世界の話ではなく大正時代の日本(東京近郊と思われる)で起こった出来事という設定です。
そのため考察を重ねれば、鬼滅の刃の作中で起こった出来事を西暦として表記することも可能になると思います。
ということで、今回は鬼滅の刃における時間経過を考察し、最終的に西暦に直した作中の時系列表を作ります。
鬼滅の刃の年代考察
まず最初に、鬼滅の刃について連載雑誌の公式のサイトでは以下のような説明がなされていました。
時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで、一変する。
引用:『鬼滅の刃』図説・大正鬼殺活動小史 – 週刊少年ジャンプ
この説明を信じれば、鬼滅の刃は物語が始まった時点から大正時代だったということになります。
また、台詞と描写から物語の開始(竈門家が襲撃された前日)が正月前の冬であることも判明しています。
その後、主人公の竈門炭治郎(以下、炭治郎)は、鬼殺隊の育手である鱗滝左近次(以下、鱗滝)のもとで2年間の修業を積み、鬼殺隊の入隊試験“最終選別”を受けるのですが、この際に戦った手鬼の台詞が鬼滅の刃の正確な時代を紐解くヒントになっていました。
手鬼は、鱗滝によって自身が47年前に捕まり、そのときの元号が慶応であったと、時代に関する具体的な発言を行っているのです。
慶応は西暦で言うと1865年5月1日から1868年10月23日の3年半しかなく、大正は1912年7月30日から1926年12月25日までです。
慶応の47年後で大正になるのは1912年の大正元年から1915年の大正4年までで、なおかつ最終選別の2年前も大正なのは1914年の大正3年と1915年の大正4年しかあり得ません。
鬼滅の刃の月日考察
更に細かな月日も明確にしていきます。
最終選別の時期がわかれば、その後は作中の出来事を順に追っていけばいいだけなので、まず最終選別の時期を考えてみます。
最終選別の舞台となった藤襲山には藤の花が咲いていましたが、本来なら藤の花が咲く季節ではないと炭治郎が発言していました。
藤の花は関東地方では4月中旬から5月上旬に開花するため、最終選別が行われたのはこれ以外の季節になります。
しかし最終選別の時期はこれ以上明確になっておらず、他の部分から紐解く必要があるようです。
そこで鬼滅の刃を読み進めると、季節的な問題で1つ大きな問題点があることに気付きました。
それは、夏の描写がないことです。
鬼滅の刃の主要な登場人物は、常に羽織を着るなどそれなりに厚着をしています。
当時の服装は和服が基本で、半袖のシャツというわかりやすい夏の格好をするわけではありませんが、その点を考えても真夏の時期が描かれていないことは確実です。
このことは、常時同じ服を着るキャラクターデザイン的な問題もあるのですが、モブキャラなども基本的に厚着をしているため、やはり夏の描写がないように感じます。
おそらく作者が服装のデザインを変えることに難色があり、意図的に夏を飛ばしたのではないかと思います。
そして鬼滅の刃の作中で夏がいつ過ぎたかを考えた際、明確に候補となるタイミングがありました。
それは無限列車編の後で、この間に訓練や任務を行っていたという簡単な描写のもと時間が4ヶ月も進んでいるのです。
この際の描写で、炭治郎は鬼殺隊の仲間である我妻善逸(以下、善逸)、嘴平伊之助(以下、伊之助)と一緒に裸でトレーニングしており、おそらくここで夏が過ぎたと想定されるわけです。
以上の時間経過を逆算すると、最終選抜は藤の花が咲く前の年が明けた冬辺りとなり、具体的には2月頃と想定されます。
鬼滅の刃における最終決戦が行われた無限城編から3ヶ月が過ぎた話(最終回の1話前)では、桜の花が満開になっており、この時期が4月の上旬から中旬と想定されます。(大正時代は既にソメイヨシノが広く普及しており、満開になっていた桜の品種はソメイヨシノと思われる)
最終選別が2月頃と想定すると、その後の話は見事に作中に収めることができるのです。
そして選抜試験が2月となると、それは大正4年しかあり得ません。
大正3年2月の2年前は、まだ明治(明治45年)なので、最終選別の試験は大正4年(1915年)の2月頃、物語の冒頭は大正元年(1912年)の12月であると確定させることができます。
ということで長くなりましたが、鬼滅の刃における時系列を西暦に直して明記します。
鬼滅の刃の作中年表(西暦)
| 1912年(大正元年) | |
|---|---|
| 12月 | 鬼舞辻無惨による竈門家襲撃(1日) |
| ~ | 鬼殺隊に入るため炭治郎は鱗滝のもとで2年間修行。 |
| 1915年(大正4年) | |
| 2月中旬 | 最終選別(7日) |
| ~ | 日輪刀が届けられるまで15日間が経過。 |
| 3月上旬 | 初任務(2日) |
| ~ | 2日で次の任務地へ移動。 |
| 3月上旬 | 浅草での戦い(1日) |
| ~ | 不明 |
| 3月中旬 | 鼓屋敷での戦い(1日) |
| ~ | 炭治郎、善逸、伊之助の3人揃って藤の家で休息。 肋骨が折れていたので普通なら1ヶ月以上は戦線復帰できないはずだが、漫画などで肋骨の骨折は極めて軽んじられる傾向があるので、1週間程度しか休んでいないと推測。 |
| 3月下旬 | 那田蜘蛛山での戦い(1日) |
| ~ | 下弦の伍である累とその一味との戦いで、炭治郎、善逸、伊之助の3人は負傷し、蝶屋敷で治療と機能回復訓練を実施。 この間に10日後、15日後と一気に時間が経過した場面があり、それ以外の描写含め1ヶ月以上が経過したと想定される。 |
| 5月上旬 | 無限列車での戦い(1日) |
| ~ | 無限列車での戦いを終えた炭治郎、善逸、伊之助の3人は、蝶屋敷で治療や訓練を行った後、作中描かれていない任務に従事。 遊郭編の始まりは、無限列車での戦いから4ヶ月が経過した時期であることが明記されている。 |
| 9月上旬 | 遊郭での戦い(3日) |
| ~ | 炭治郎は上弦の陸である妓夫太郎・堕姫兄妹との戦い後2ヶ月間意識がなかったが、超人的な回復力で1週間後には復活。 その後、日輪刀をもらい受けるため鍛冶屋の里へ向う。(この移動に数日かかったと思われる) 結果、遊郭編から鍛冶屋の里編までに2ヶ月半程度が経過したと想定される。 |
| 11月下旬 | 鍛冶屋の里での戦い(10日程度) |
| ~ | 鍛冶屋の里での戦い後に鬼の出現が止まったため、各柱による隊士への訓練“柱稽古”を実施。 炭治郎は遊郭での戦闘後7日間意識はなく、更に骨折していたため稽古参加まではもう7日を要する。 炭治郎は行った柱稽古の期間は、 宇髄天元:10日間 時透無一郎:5日間 甘露寺蜜璃:不明 伊黒小芭内:不明 不死川実弥:2日(途中中断) 悲鳴嶼行冥:不明(1週間以上) であった。 その後、鬼舞辻無惨の来訪により一気に無限城での戦い(最終決戦)が開始。 鍛冶屋の里編から無限城編までは1ヶ月半程度経過したものと想定される。 |
| 1916年(大正5年) | |
| 1月中旬 | 無限城での戦い(1日) |
| ~ | 鬼舞辻無惨を倒してから3ヶ月間、炭治郎はずっと入院中。 |
| 4月中旬 | 鬼殺隊の解散 |
| ~ | 炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助の3人が一緒に暮らすエピローグ。 |
では、この時系列に現実の出来事を加えてみましょう。
鬼滅の刃と現実世界の年表
| 1912年(大正元年) | |
|---|---|
| 12月 | 鬼舞辻無惨による竈門家襲撃 |
| 1913年(大正2年) | |
| 5月14日 | ロックフェラー財団が設立 |
| 6月10日 | 森永のミルクキャラメルが発売開始 |
| 8月23日 | コペンハーゲンで人魚姫像が公開 |
| 10月10日 | 袁世凱が中華民国初代大総統に就任 |
| 11月22日 | 徳川慶喜逝去 |
| 1914年(大正3年) | |
| 1月12日 | 桜島が噴火(大正大噴火) |
| 4月1日 | 宝塚少女歌劇(現宝塚歌劇団)の初公演 |
| 4月16日 | 大隈重信が第17代内閣総理大臣に就任 |
| 4月20日 | 夏目漱石の小説「こゝろ」(当時は「心 先生の遺書」)が連載開始 |
| 5月1日 | 東上鉄道(現在の東武東上線)が開業 |
| 7月28日 | 第一次世界大戦勃発 |
| 8月15日 | パナマ運河開通 |
| 12月20日 | 東京駅開業 |
| 1915年(大正4年) | |
| 2月8日 | アメリカで作られた初の長編映画(國民の創生)が公開 |
| 2月中旬 | 最終選別 |
| 3月上旬 | 初任務 |
| 3月上旬 | 浅草での戦い |
| 3月中旬 | 鼓屋敷での戦い |
| 3月25日 | 第12回衆議院議員総選挙 |
| 3月下旬 | 那田蜘蛛山での戦い |
| 5月上旬 | 無限列車での戦い |
| 5月7日 | ドイツの潜水艦(Uボート)が豪華客船を攻撃(ルシタニア号事件) |
| 8月18日 | 第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)が開幕 |
| 9月上旬 | 遊郭での戦い |
| 11月10日 | 大正天皇の即位礼が挙行 |
| 11月下旬 | 鍛冶屋の里での戦い |
| 12月4日 | 東京株式市場が暴騰(大戦景気) |
| 12月9日 | 日本最大の獣害事件(三毛別羆事件)が発生 |
| 1916年(大正5年) | |
| 1月中旬 | 無限城での戦い |
| 1月17日 | 全米プロゴルフ協会(PGA)創立 |
| 4月中旬 | 鬼殺隊の解散 |
| 4月30日 | ドイツで世界初の夏時間が実施 |
以上となりますが、この時系列を参照しながら鬼滅の刃を読み直すと、時代背景がわかりやくなり面白さが倍増されるのではないでしょうか?



コメント
こんなの桜が満開だったラス前のシーンから逆算していけばいいだけなんじゃねーの?
まったくもってその通りです。
実は、この考察をしたときにはまだ鬼滅の刃は終わっておらず(無限城編の途中だった)、実際に記事で書いたような手順で現実世界の時間を特定していきました。
考察系ブログを立ち上げる際、このとき考えたことは是非記事にしたいと思い、無理を承知で今回記事にしています。
一応、最終回1話前の桜のシーンがなくても、時期が特定できる構図にはなっているはずです。(1ヶ月程度のズレが生ずる可能性はある)
鬼滅の刃って東京近郊だけの話なんですか?
鬼滅の刃に出てくる実際の地名は、現在における東京都内のものだけです。
ですので、東京近郊で物語が進んでいたことは間違いありません。
それ以上に東京近郊で物語が進行したと思う理由は、忍びの里出身である宇髄天元以外の主要な鬼殺隊隊士が全て東京出身であるという事実です。(伊黒小芭内は東京いっても八丈島出身だが)
以上のように、鬼殺隊の隊士がほとんど東京出身と思われるので、鬼の出現自体が東京近郊に集中していると考えられます。
鬼滅の刃の作中で1番遠くまで行ったと思われるのは、(硫黄と思われる)匂いのする温泉地にあった鍛冶屋の里で、おそらくは箱根や秩父辺りにあると思われます。(遠くても草津、伊香保、日光などの関東圏の温泉地と思われる)
他にも同じような考察記事はあるけど、月日まで細かく書いてあるのは始めてみた。
ちゃんと調べると細かい月日まで判明することがわかり、今回記事にしました!
大正時代は旧正月が採用されていたため、正月前は12月ではなく2月ではないですか?
その場合大正時代は1912.7に始まるため物語のはじめの竈門家襲撃は1913.2となると思います。
他の出来事の考察すごいです。こんなに細かく月日がわかるものなんですね!